死にたかった。でも生きたかったから生きている。こっぺのプロフィール

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こんにちは。はじめまして。

同性恋愛ライターのこっぺ(@koppe_19950715)です。

33年間、自身のセクシュアリティーと葛藤した末、同性の人と遠距離恋愛しています。

 

このブログでは、ゲイ、そしてHSPである僕自身が生きづらかった経験をベースに

「マイノリティーが生きやすくなる社会をつくる」

ことを目標に、文章を綴っています。

 

これまでの経歴をざっくりまとめると・・・

  • いじめられて高校を中退
  • 大学に進学&海外留学までしてスキルは皆無→就職難
  • 社会人一年目で上司からパワハラ、そしてうつ病
  • 対人恐怖症、工場勤務で孤独の3年半を過ごす

と、人生どん底な日々を送ってきました。

それはそれはもう、しんどくて「消えたい・・・」と闇落ちしてました。(苦笑)

 

しかし、人と接することも、電話対応すらもまともにできなかった僕が、美容業界でカウンセラーとして活躍できるまでになりました。

そして現在はアパレル販売の仕事をする傍らで、

など、幅広い分野で活動しています。

 

ただHSP気質は治せるものではないので、物事を真面目に考えすぎてしまうが故に、プレッシャーに負けて精神的にしんどくなることも時にはあります。

決して強くなれたわけではないし、悩みがない日なんてありません。毎日何かしら葛藤しています。

 

ここからは、そんな僕の生い立ちを振り返りながら、

”これまでどんな想いを抱えながら生きてきたのか”

そして、”いまどこを目指そうとしているのか”

 

赤裸々に綴っていきます。

「自分の人生、このままでいいのかな…」と立ち止まっている人の背中を少しでも押せたなら嬉しいです。

 

劣等感を感じていた10代

小学生のときは、学校から帰るとゲームをして遊ぶか、友達の家に遊びにいくかのどちらかで、まったく勉強に手をつけない子どもでした。

あのころは本当に無邪気だったし、何にも考えなしに能天気に生きていたなぁと思いますw

 

そんな調子で中学にあがり、やがて転機は訪れました。

中間テストの成績を見た母が、「いい加減にしろ!!」と言わんばかりに、深夜に及ぶ説教をこっぴどくさせられたのです。

あの当時の記憶はまだ昨日のことのように覚えてますが…、本当に、おしっこチビる恐ろしさでした。(笑)

 

それっきりゲームをすることも遊びに出かけることもやめて、中学からは勉強に打ち込むようになりました。

 しかし、まったく勉強というものをしたことがないため、小学校で学ぶ「基礎」もほとんどなにもわからない。

 

成績は、頑張ってもいつも中の下でした…。

「中の下」と言われても伝わりにくいかもしれませんが、、

 

つまり、出来損ないの「凡人」だったんです。

 

勉強も、運動、容姿も。

何ひとつ取り柄がない自分を、いつしか”ダメ人間”と卑下するようになりました。

 

「まわりを見返したい」

「両親に褒められたい」

 

承認欲求が強まるなかで、何も出来ないなりに自分を磨こうとします。

 

ですが、まわりからは「勉強できないガリ勉くん」といった具合にバカにされ、気付けば学校では孤立した存在に。

小学校から仲が良かった友達も離れていき、苦い思い出を残して中学を卒業することになってしまいました。

 

いじめられて高校を中退

公立受験に失敗した僕は、やむを得ず私立高校の一般クラスに進学することに。

それでも、「高校では楽しい学校生活にしたい!」と気持ちに花を咲かせていました。

 

しかし、入学式当日、思わぬサプライズが待っていました。

いきなり全員テストを受けさせられたんです。

「…え?」って感じですよね。まさに、「え。」でした。

 

少し戸惑いながらも、持っている知識をなんとか精一杯振り絞って、ひとつひとつ問題を解いていきます。

すると、その日の夜に突然、学校側から自宅に電話がかかってきたのです。

 

「特進(特別進学)クラスに来ませんか?」

 

テストの成績が良かったからなのか…、定かではないですが、当時の僕は

「成績をあげてまわりを見返したい!」

その一心で、一本の電話をきっかけに特進クラスに急遽移ることに決めました。

 

・・・つらい現実が待ち受けていることも知らずに。

 

 

特進クラスの授業は、想像してた以上に大変でした。

もともと勉強できない僕は、授業に追いつこうとすることに必死で、まわりからどんどん切り離されていく一方だったんです。

 

毎日の放課後の講習。

鬼畜なほど出される課題。

 

僕はしばらくして、ようやく気付きました。

ハードルが高いステージに立てたところで、成績をあげられるわけではない

ということに。

 

思い上がっていたんです。

特進クラスに誘われて、誰かに認められたような気がして。

本当に、考えが幼稚だったなと思います。

 

でも負けず嫌いな性格だったから、それでもなんとか必死に食らいつこうと、授業の合間の休憩時間も惜しんで勉強していました。

 

ただ、その一方でいい気分をしない人達もいたんですよね。

「楽しい高校生活にしたい!」と思っていたはずなのに、

 

「まわりに認められたい」

「両親に褒められたい」

 

とまわりと関わることなく、自分のことばかりで。

気付けばまた孤立した存在になっていました。

 

「中学のときと同じ過ちを犯してしまった…」

 

そう思いました。

 

それからのこと、クラスメートから嫌がらせを受けるようになり、

いじめは日に日にエスカレートして、ひとりの男子生徒が殴りかかってきた、なんてことも。

 

教室内は騒然として。僕は頭のなかが真っ白で。

どうやって逃げてきたのかよく覚えてないけれど、気付けば帰りのバス停まで逃げてきていました。

 

その日を最後に不登校になり、そしてしばらくして正式に退学届を出して。高校を中退する選択肢をとりました。

やっとの思いで大学進学!しかし、就職できず・・・

15歳で、まさか働くことを一瞬でも考えるなんて、当時は思ってなかったかもしれません。

「高校では楽しい学校生活にしたい!」と、無邪気に思ってたぐらいですから…。

 

しばらく学歴コンプレックスに陥っていました。

心残りとしてやっぱり、「高校だけは卒業したい」という気持ちはありましたが…、

その反面、「また同じ目に遭うんじゃないか…」と不安と恐怖で前に進めない自分もいました。

 

そんなある日、両親が僕に聞きました。

 

「もう一度、高校に行く?」

 

冗談っぽく聞きながらも、両親はもしかすると学校に行かせてあげたいという思いがあったのかもしれません。

僕は少し考えたあとに、「うん」と頷きました。

 

それからのこと、私服で通える高校に進学して、興味があった勉強を学ぶために国際大学を受験しました。

二ヶ月間だけでしたが、海外へ留学もしました。

 

空白の時間をやっと埋めることができて、学歴コンプレックスを解消することができました。

 

そう思っていた矢先、大不況となる出来事によって、さらなる試練が待ち受けていました。

アメリカで起きたリーマン・ショックです。

 

リーマン・ショックは、2008年9月15日に、アメリカ合衆国投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象を総括的によぶ通称である。

 

当時の日本では就職氷河期と呼ばれていて、内定取消を受ける人が相次ぐなど、多くの就活生が嘆いていた時代でした。

僕もそのうちの一人で、面接にすらなかなか進められず、苦労しました。

 

でもある時から嫌気をさして、パッタリ就職活動をあきらめました。

自分のやりたいこともよくわからないまま、ただ有耶無耶に就職先を決めようとしていることに違和感を感じたからです。

 

まわりはそれでも「今の時代、仕事は選んでいられないよ」と口を揃えて言っていたけれど、僕はその言葉に絶望すら感じました。

興味のない会社に入って、やりたくない仕事をするぐらいだったら、無理に就職先を決めたくないと心のなかで反発していたんですよね。

 

だったらもうアルバイトからでいいから、興味が持てる分野で働いていこうと思い、就職先を決めないまま大学を卒業してしまいました。

 

社会人一年目でパワハラ、そしてうつ病

大学を卒業してからは、興味があったアパレル販売の仕事を始めることに。

しかし、致命傷にも大きな壁に衝突することになります。

 

お客様に、お声がけすることが、まともにできない・・・。

 

マジでアホか・・・という声が聞こえてきそうだ・・・。

 

 

たしかに人見知りだし、陰キャラだけど、これでも学生時代はずっと飲食店でカウンター業をしてきた僕です。

「慣れてしまえばきっと大丈夫!」と軽く考えてたけど、もともと対人恐怖症の僕にはちょっとハードルが高かったようです。

 

飲食店では基本的に受け身だったから続けることができたのかもしれないけど、販売職は自らお客様にアプローチしていく仕事。

「お声がけするだけでこんなにも緊張で心臓がドキドキするものなのか・・・」と思うほど、全然使いものにならなかったのです。

 

まともに接客できない僕は、先輩上司から怒られない日はありませんでした。

「接客向いてないのかも・・・。」

そう思い、たった三ヶ月持たずで「辞めたい」と上司に告げてしまいました。

 

でも、「お前、そんなんじゃどこ行ったって同じだぞ?」と社会の厳しさを提示され、退職を認めてくれなかったんですよね。

 

「アルバイト」だからといって甘えている自分がいたのは確かだから、上司の言うことも正論だと思っていました。

ですが、そこで出会った上司は、スタッフに対して罵声を飛ばすパワハラ上司だったんです。

 

そんな上司に毎日ビクビクしていた僕は、言われた通りに従うしかありませんでした。

 

お声がけすらまともにできない・・・。

上司には毎日怒られるばかり・・・。

 

「能無しの自分は生きてる価値なんてない…」

 

そんなになるまで精神が追い込まれ、医師から「うつ病」だと診断を受けました。

死んでもいい覚悟で、最後ぐらい生きてみたかった

アパレル販売の仕事は、一年経ってやっと辞めることができました。

しかし、そこからしばらく半年近く、働きに出ることができなかったんですよね。

 

自分を必要としてくれる場所なんてないんじゃないかと完全に自信を喪失して・・・

毎日トドのようにベッドのうえで沈んでたような気がしますw

 

しかし、そんな生活は長くは続けられず、貯金が底をつきそうなタイミングでカフェレストランのオープニングの仕事を始めることにしました。

が!しかし、使いものにならないのかシフトすら入れてもらえず即クビに。

 

「やっぱり僕は社会に必要ない人間なのか…」

 

と、何もないこんな僕を受け止めてくれるのは、唯一ベッドだけでした。

 

それからのこと、ほとんど人と関わることのない工場での仕事をもくもくと続けてきました。

ですが、やりがいも、生き甲斐も感じられない日々は、とてもじゃないけど生きている心地がしませんでした。

 

もちろん「工場の仕事には夢がない」ということが言いたいわけではありません。

ただ僕にとっての幸せは、

 

「好きな人と、同じ志を持って働くこと」

 

にあったんですね。

学生時代、アルバイトが楽しくて5年以上続けられたのは、仲間が大好きで、みんな同じ志を持って仕事に取り組めていたからだと思います。

 

「これからの長い人生、ずっとどん底のままなのだろうか。」

 

 そう考えるたびに脳裏に浮かぶのは、いつも「消えたい」でした。 

でも振り返れば、いつでも目の前の現実と向き合おうと必死に生きてきた自分がいたんですよね。

 

いつだって心は、「生きたい」と叫んでいたんです。

 

”世の中には、自分なんかよりももっと必死にがんばっている人がいる。

それなのに自分はなにをへこたれているんだ。”

 

”もし本当に死ぬ勇気があるのなら、本気で生きるために使いたい。

本当の意味で、最後ぐらい必死にもがいて、生きて死にたい。”

 

本当に、つくづく自分中心な生き方をしているなと、自分自身に呆れました。

「言い訳して逃げてばかりの人生はもう終わりにしたい」

僕のなかで、なにかが吹っ切れる瞬間がありました。

 

それからのこと、仕事を選ばず、ほとんど休むことなく夜中も働きに出かけました。

そして、唄い手になりたいという夢を叶えるために、音楽スクールに通い始めます。

 

 

スタート地点にすら立てなかったブランクの期間を埋めるためにも、かなり無理してました。

※もちろん体調を崩したこともあったので、何事も自分のペースでコツコツ頑張ることを推奨します!!

 

そして、精神的に自分のなかで落ち着いたタイミングで、転職活動をはじめました。

 

人見知りで陰キャの僕が、美容カウンセラーに転身

「人と関わることをしていきたい」

 

ざっくりだけど、人と関わることが苦手だからこそ、誰かの力になれることに憧れを持っていたんですよね。

生きている意味って、誰かの力になれたときに感じることだと思います。

 

だから思い切って、興味があった美容業界に転職をしました。

 

接客業は・・・5年ぶりでしょうか?

最初はもう、電話を取ることすらろくに出来なくて、本当に情けなかったです。

後に聞いた話、年下の女の子のスタッフに「この人大丈夫なんですかね…?」と思われていたほど。(笑)

 

そんな僕でしたが、少しずつ対人に慣れて、美容カウンセラーとして新規の対応できるまでになりました。

お客様の悩みを聞き出して、ベストな提案をして喜んでもらえたとき、それは大きなやりがいを感じられました。

 

ですが、その幸福は長く続くことはありませんでした。

価格競争に負けて、どんどん顧客が減って、会社もいつなくなるかわからない状況にまで陥ったのです。

 

転職して二年後、まさか1件も予約が入らない日が来るなんて、最初は想像もしていませんでした。

そしてどんどん辞めていく人も増え、誰もいないお店のなかで思わず涙が止まらなくなった日もありました。

 

がんばりたかったけど、会社が倒産するのも時間の問題だと思い、社長に電話をして退職の意志を伝えました。

すると、「じゃあ今月いっぱいで退職でいい?」と言われ、一週間後に退職。

呆気ない終わり方をして、また振り出しに戻ってしまいました。

つらい人生経験から気付けば本当にやりたかったこと

これからどうしようかと悩んでるときに、美容カウンセラーとして働いた二年間でどんな瞬間にやりがいを感じたのか。思い出してみました。

すると、ある一人の男性のお客様から、仕事の悩みを聞いたときのことを思い出したんです。

 

その方は、最近接客の仕事を始めたばかりで、先輩社員から「もっとシャキッと応対しろ」など接客の仕方について怒られることが多かったようでした。

「人見知りだし、どう接客すればいいのかわからなくて…」と漏らしていて、闇落ちしてた過去の自分と似てるなぁと思ったんですよね。(笑)

 

そのお客様とは仲がよかったし、どんな人かもよく知っていたので、

「○○さんは、そのままでいいと思いますよ。○○さんのその優しい雰囲気は、他の人には真似できないですから。自信持って取り組めばいいんですよ。」

といった具合にアドバイスをしたんです。

それって、なんかよくわかんないけど、ぽろっと出た言葉だったんですよね。

多分、たくさんの経験を積んできたからこそ、素直に出た言葉だったと思います。

 

すると、しばらくして久しぶりに会ったときに

「アドバイスをくれたおかげで、契約数トップとれたんですよ!!」

と報告してくれたんです。

 

地方エリアでなのか、全国エリアでなのかはわからないけど(笑)

ただ、仕事とはまったく関係なく、自分の何気ないひと言で誰かの人生を大きく変えられたとき、

 

「あ〜・・・、自分のつらかった経験って、こうして誰かの役に立つんだな」

 

と、人生で初めて心の奥底からじんわりとあったかくなる気持ちを感じた気がしました。

 

音楽を始めたことも、

接客の仕事をあきらめなかったことも、

こうしてブログを書いていることも。

 

稼ぎも地位も関係なく、全ては誰かの支えになればと思って動いてきたことだったなぁと。

それに気付いたときに、これからの僕の人生の軸が定まりました。

「生きづらさ」を感じている人達の生きる希望になりたい

僕の人生は、まったくと言っていいほど、軌道に乗りません。

毎日がホント、葛藤の連続で、自分自身との戦いです。

 

ただ、どんなつらい経験もいつか誰かの役に立つのだと知ってからは、何事もポジティブに考えられるまでに成長したのかなぁと感じてます。

 

美容業界を離れてからは、「生きづらさ」を感じている全ての人達の力になれればと、ファスティングアロマテラピーの資格を取得しました。

 

いつか自分の経験やスキルが誰かの役に立てられるように、これからも自分を磨いて、

 

音楽を通して、インターネットを使って、誰かの励みになる言葉を届けていきたい。

 

 

そう思っています。

 

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

意欲的にブログやTwitterにて発信を続けていきますので、ぜひSNSでつながりましょう!

今後ともよろしくお願いいたします。m(_ _)m

 

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